あずは何者か②

こんばんは。あずです。

前回は大学までのハナシをざっくりとしました。 

 

 

さて、今回は大学卒業後に移り住んだ

石巻での活動についてです。

 

 

スクールカウンセラーを目指していたわたしが

なぜ復興支援員へ?と思った方もいると思いますが、単刀直入にいうと、スクールカウンセラーの道は選ばなかったんですね。

 

 

ただ、「震災」という

ワードはいつも頭の中にありました。

  

 

考えがまとまらないまま大学4年をむかえ、

もうそろそろ決めないといけない時期にさしかかりました。 

 

その頃、

児相でのアルバイトや

学校でも発達心理を学んでいたため、

養護施設への就職を希望しました。

 

就職先が決まる!というところにきて、

「だけれども...」と悪い癖がでるわけです。

....

このまま決めてよいのか...

と悩み始めたわけですね。

 

そこでずっと頭の中にあった

 

 

「震災」

 

 

というワードが頭から離れなかったのです。

 

 

 

それはなぜか...

2016年の3月11日で丸5年だったんですね。 

節目となる年で思うことは多々ありました。

 

5年前の自分は、

5年後の自分の選択を

予想していなかったでしょうね。

 

 

そんなこんなで、

復興支援に関わる仕事を探していたら、石巻での活動がヒットし、流れに身を任せるわけです。

 

 

 

本題に入るまでが長すぎるのですが、

石巻ではどんな仕事をしていたか?ということについてお話ししますね。

 

 

2年前石巻に移り住んだときは、

当たり前ですが、

現在よりも仮設住宅への入居者が多かったわけです。

さらに石巻は被害の規模が大きく、

住まい再建への支援体制が完全には整っていない状況でした。

 

そのような中で、

わたしの業務としては、

今後の住まいに関する相談業務や市役所等への手続き支援などが主なものでした。

約2年の中でたくさんの方に関わらせてもらいました。

 

分かっていたようで分かっていなかった被災地の人々の暮らしや現状というものは、現場に入り、一人一人の声を聞き、関わり、向き合うことではじめて分かったのです。

 

 

「再建」

 

大きな選択と決断です。

 

このころは私の実家も仮設住宅暮らしで、

ある時にこう思いました。

仮設に入居できたとき、

「家族の時間ができる」そう思って、ほっとしたとの覚えてます。

ただ、そのほっと安心できる場は仮設なんだと…なんだか複雑な思いをしたのを思い出しました。

 

そこからの「再建」です。

“実家といえる場所ができる”

“隣の足音気にせず、ほっと落ち着いて生活できる場がある”

 

そんな「再建」という

人生の中で大きな選択・決断をする場に、

その時間(とき)に

関わらせてもらえるのは、

とても意味あるものでした。

 

 

2年はあっという間にすぎ、とても濃厚な時間でした。

 

 

 その一方で、

牡鹿半島でのサロン活動にも参加していました。

牡鹿では個性豊かなおばあちゃんたちが

わたしを待っていてくれました。

 

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"写真はサロン場所からの牡鹿の海"

 

さぁ、この続きは次回へ...